幼児の早期英才教育や知育というと、知育玩具や読み書き計算などの早期教育、絵本の読み聞かせ、習い事などが多いのですが、残念ながらそれらでは地頭の良さを伸ばすことはできません。
玩具で手先を器用にした方がいいとか、絵本の読み聞かせで頭がよくなるとかそんな情報ばかり溢れていますが、何の根拠もありません。(⇒「絵本の読み聞かせで学力やIQは上がらない!」へ)
知育玩具については別の記事で解説していますが、効果が検証された玩具はほとんどないということ、家に玩具の数が少ないほど子供は頭がいい傾向があることから、おもちゃをあれもこれもとそろえる必要はありません。(⇒「知育玩具の嘘!頭のいい子ほどおもちゃは少ない」)
その他の早期教育についても2歳までは不用で、2歳以降もあまり意味がありません。強いていえば、もしバイリンガル、マルチリンガルにしたいなら、英語などの語学教育を早くから始めた方がよいのですが、やるなら徹底的にやらないとあまり意味がないか、むしろ悪影響という説もあります。
(また、本気で音楽家やプロの棋士などにしたいなら早くから始めた方がいいということはありますが、音楽家になることや棋士になることが一般的に本質的な幸せとは関係がないので、また別の記事で捕捉します。)
知性の本質とは
早期教育に意味がないことは、知性とは何かを理解するとよく分かります。
人間には、様々な知性が並列して存在していると考えられています。『幼児教育と脳』によると、知性には「言語的知性」「絵画的知性」「空間的知性」「論理数学的知性」「音楽的知性」「身体運動的知性」などがあります。これらは独立しているので、ある知性が伸びても、他の知性にはあまり関係がありません。例えば、言語の英才教育をしても音楽が得意になるわけではありません。
パズルで「空間的知性」を伸ばしても、絵本で「言語的知性」を伸ばしても、本質的な地頭がよくなるわけではありません。しかも幼少期に認知的な教育をしても、成長とともに優位性はなくなり、早期教育をしていない他の子と変わらなくなります。(英才教育を続けた場合は例外もありますが、悲惨な結果になる可能性が高くおすすめできません。)
これらの独立した知性は、まさに学校の勉強に対応しています。国語、算数、理科、音楽などです。これらの知性を伸ばせば、テストでいい点数をとったり、よい成績をおさめることはできるかもしれません。しかし、テストで高得点をとるような学力の高い子供が社会に出た時、必ずしも活躍できるとは限りません。
なぜなら、各知性はそれぞれ個人の性格を通して表現されるからです。どんなに言語的知性が豊かでも、他人の気持ちに配慮ができなければそれを生かすことができません。数学が得意でも、困難があればすぐに投げ出してしまう性格なら、社会に出ても成功しないでしょう。
学力より大事なこととは?
学力より何が重要なのかというと性格の「ある特性」です。『幼児教育と脳』では、「社会的知性」とか「感情的知性」とか、すべての知性を統合しコントロールする「自我」などと言っていますが、分かりやすいキーワードで表現すると「社会性」「利他性」「思いやりの心」「やり抜く力」「自己効力感」「楽観性」「自制心」などです。
ここではこれらをまとめて「非認知能力」と呼ぶことにします。非認知能力は、社会的な成功と関連が高いことから注目されています。非認知能力が他の独立した知能より重要な理由は3つあります。
1つ目は、勉強ができても(独立した各知能が優れ、学力が高く、勉強ができても)社会でうまくやっていけるわけではないということ。高学歴なのに残念な仕事ぶりの人も珍しくありません。
2つ目は、非認知能力が高いと学力が高くなるということです。目標をもって勤勉に取り組む人の方が成績が上がるのは当然です。
3つ目は、学力が高くても幸せになれるとは限りませんが、非認知能力が高いと幸せで、かつ、健康である可能性が高くなります。
(ただし、勉強に関わる知能は遺伝するので、非認知能力の高い子供より、そうでない子の方が勉強ができるということはあります。もちろん、非認知能力も遺伝します。)
非認知の力が高い人は健康かつ幸福感が高い
何かを達成するとき、学業成績やIQよりも、非認知能力が重要になります。そのため、 非認知能力の高い人は、将来の年収も高くなる可能性が高いです。 それだけでなく、幸福感も高くなる傾向があります。(ちなみに幸福感はある程度まで年収とも相関関係があります。)
非認知能力の高い人は他人と比較しない
非認知能力の高い人は 他人と自身を比較しません。相手の存在を尊重することができますし、大事なのは自分の成長であることをわかっているからです。
例えば、がんばってテストで80点をとったとしたら、自分の努力を誇りに思い、がんばればより成長できるのだと自分自身を信じることができます。仮に努力をせずに100点をとった友人がいても、すごいな~!でも人は人、自分は自分と思える確固たる自己をもっています。つまり、モチベーションも評価も自分の中で生み出されるのです。
一方で人と比較する人生は満足感を得難く、環境が変われば自己肯定感の崩壊の危機に直面しかねません。例えば、小学校でトップの成績だったのに、受験して中学に入って成績が下の方になったとたんに自分が価値のない人間に感じてしまいます。
非認知能力が高い人は他者に役立つことに幸せを感じる
さらに、非認知能力が高い人はどんな状況でも楽しみをみつけるのがうまく、困難な局面でも楽観的で絶望しません。楽観的なので、病気になりにくく健康です。
人間は社会的な生き物なので、誰かの役に立つと幸せを感じますが、非認知能力が高いほど他者や社会に貢献する気持ちが強くなり、利他的になります。
家庭、学校、職場などで円満な人間関係を築くこともできます。
だから、幼い子供に勉強をさせるよりも、非認知能力を育てることの方がずっと大事です。
どうしたら非認知能力が育つのか?
子供の非認知能力を育む方法とは何か?答えは簡単で、幼児時代においては、同年代の子供集団で遊ぶことです。なぜなら非認知能力は、社会でうまくやってくために発達する能力であり、社会の中でしか育まれないからです。そして子供にとっての社会は、大人の集団ではなく、同世代の子供集団です。
(これは大人でも同じです。子供のいるお母さんは、自分の母親と話すより、同じく子供のいる同世代のお母さんと話した方が楽しいし、影響を受けます。)
よく遊んだ子ほど頭がいいといいますが、その通りです。ガリ勉でなく、地頭がよく、友達に恵まれ、リア充な学生生活を送るのは集団で遊んだ経験が豊富な子です。
つまり、子供にとっては同世代の子供と遊ぶことが最高の知育になるのです。
詳しくは「非認知能力は家庭内では伸ばせない!親ができることは?」へ。